君の意味

金沢勇希の『君の意味』

日本の攻撃的な仏教が戦争に導いた?

今、お手伝いしている会社の社長はイスラエル出身なので、毎日のように戦争の話題が出ます。

1か月ほど前には、イスラエルの取引先がみなシェルター生活をしている、という話をしていました。

家を建てる際には、シェルタールームを備えるのが当たり前。警戒態勢の時には、家族全員がその部屋に集まるそうです。

木造の家が多い日本とは大きな違いですね。

話はそのまま宗教観に移り、複数の宗教が同じ聖地を求めあうエルサレムの複雑な事情について語ってくれました。

「宗教って、ときに怖いよね」と、彼が話を締めくくるかと思いきや、こんなひと言が続きました。

「そういえば、日本には攻撃的な仏教があったらしいね?
その考えが第二次世界大戦にも影響したとか」

…日本の「攻撃的な仏教」が戦争に導いた?

「いや、そんな話は聞いたことがないですね」と、ぼくは答えました。

戦時中の日本では、国家神道(厳密には神道は宗教とはされませんが)が中心で、他の宗教もその方針に従わされていたはずです。

おそらく彼の言う「攻撃的な仏教」は、日本における神道と仏教の融合的な関係を見ての勘違いかもしれません。

例えば、
「神道で初詣をして、仏教のお墓に入る」
というような日本人の宗教観。

ただし、神道でもお墓を建てるので、仏教だけがお墓の宗教というわけではありません。

こうした誤解は、他国の人と話すとよく出てきます。

と、そんなことを考えていたぼくは、逆に尋ねてみました。

「そういえば、“赤い雄牛”が現れたって本当ですか?」

これは7月にアメリカのニュースや日本の都市伝説系YouTuberの間でも話題になっていたもので、旧約聖書に出てくる“予言”のひとつ

赤い毛の雄牛が現れると、救世主の登場が近いという言い伝えがあるそうです。

「それは聞いたけど、眉唾だよ」と、社長は笑いながら答えました。

「第一、本当だとしても、
第三神殿を建てる場所にはすでにイスラム教のドームが建ってる。
しかも、そこにある宗教施設を破壊してから建てるのは、聖書でも禁止されてるんだよ。」

お互いに、お互いの国についての「勘違い」を正し合う――
そんな、いつものランチのひとときでした。


「常識」の意味は、国が変わればガラリと変わる。

そうした違いを体感することは、自分の視野を広げる大きなきっかけになります。

選択肢は、本来無数にある。
考え方も、文化も、意味づけも、人それぞれ。

何が正しくて、何が誤りなのかも、立場や文脈によって変わります。

そして同じように勘違いしてしまっていることもある。


あなたは最近、どんな「勘違い」がありましたか?

あなたの視野が広がり、気づいていなかったチャンスに出会えますように。

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