カウンセラーの紹介
私のストーリー
空想からの一歩。変わりたいと思ったあの日から

かつての私は、現実が退屈でつまらなくて、
2次元の世界にばかり心を預けていた、ぽっちゃりオタクでした。
空想の中でだけ安心できる、そんな日々。
でもある日、ふと鏡に映る自分の姿に、
「このままでは、運命の人に出会っても振り向いてもらえない」
そんな焦りを感じ、人生を変える決意をしました。
しかし、ダイエットのために高校生ぶりのバスケをはじめると、
右ひざの十字靭帯を断裂。1年を棒に振りました。
ちょうどその頃、会社で任された新プロジェクトも、会社が不景気な中での新規事業ということで「あいつらこの大変なの時になにわけの分からないことやってんだ?」と、大反感を買いました。

ケガや試練に見舞われましたが、『みらくるワーク』の前身となるアイデアを用いることで、あらゆることが好転しました。
1年間で14kgの減量に成功。新規事業も数年で年商5億円を超え、のちに100億円規模の成長事業となり、この成果が評価されて、最年少で昇進を果たしました。
その後、運命の人と出会い、結婚。
カリフォルニアに移住し、子どもにも恵まれました。
空想からの一歩。
変わりたいと思ったあの日から
かつての私は、現実が退屈でつまらなくて、2次元の世界にばかり心を預けていた、ぽっちゃりオタクでした。空想の中でだけ安心できる、そんな日々。
でもある日、ふと鏡に映る自分の姿に、
「このままでは、運命の人に出会っても振り向いてもらえない」
そんな焦りを感じ、人生を変える決意をしました。

しかし、ダイエットのために高校生ぶりのバスケをはじめると、
右ひざの十字靭帯を断裂。1年を棒に振りました。
ちょうどその頃、会社で任された新プロジェクトも、会社が不景気な中での新規事業ということで「あいつらこの大変なの時になにわけの分からないことやってんだ?」と、大反感を買いました。
ケガや試練に見舞われましたが、『みらくるワーク』の前身となるアイデアを用いることで、あらゆることが好転しました。
1年間で14kgの減量に成功。新規事業も数年で年商5億円を超え、のちに100億円規模の成長事業となり、この成果が評価されて、最年少で昇進を果たしました。
その後、運命の人と出会い、結婚。
カリフォルニアに移住し、子どもにも恵まれました。

幸せの裏側で、 少しずつ壊れていったもの
順風満帆に見えた生活でしたが、急に試練が訪れました。同僚が仕事をしなくなったり、投資に失敗したり、コロナ禍によるアジア人への暴行が起きたりしました。
そして、妻の情緒も不安定になりはじめ、言い合いは増え、子どもを抱きながら涙する姿を見ることもありました。原因がわからないまま、家庭は崩壊寸前の状態に。
コロナ禍の混乱もあり、私たちはアメリカを離れ、帰国しました。

幸せの裏側で、少しずつ壊れていったもの
順風満帆に見えた生活でしたが、急に試練が訪れました。同僚が仕事をしなくなったり、投資に失敗したり、コロナ禍によるアジア人への暴行が起きたりしました。
そして、妻の情緒も不安定になりはじめ、言い合いは増え、子どもを抱きながら涙する姿を見ることもありました。原因がわからないまま、家庭は崩壊寸前の状態に。
コロナ禍の混乱もあり、私たちはアメリカを離れ、帰国しました。

「生きる意味を見失った」ときに、始めたこと
帰国後、医師の診察によって、
妻は産後うつだったことがわかりました。
薬で症状は落ち着いたものの、
私たちの関係はすでに深く傷ついていて、
夫婦としてのつながりは、ほとんど失われていました。
最も大切な妻一人救えず自信を喪失した私は、
子どもたちのため以外に、
自分が生きている理由が見つかりませんでした。
しかし、そんな自分にもまだできることはあるはず。
そんな希望から、
「まずは、目の前にいる誰かを助けることから始めてみよう」
と決めました。
困っている人を見かけては声をかけ、
一緒に悩み、寄り添い、解決を探す――
そんな日々の中で、少しずつ、
自分の力が誰かの役に立つことを実感していきました。
その中のひとり、
月経による心身の不調に悩む女性を支援する
という夢をもつあけみさんとの出会いは、
かつて産後うつに苦しんだ妻と
向き合い直すためのギフトのようでもありました。
「生きる意味を見失った」ときに、始めたこと
帰国後、医師の診察によって、妻は産後うつだったことがわかりました。薬で症状は落ち着いたものの、私たちの関係はすでに深く傷ついていて、夫婦としてのつながりは、ほとんど失われていました。
最も大切な妻一人救えず自信を喪失した私は、子どもたちのため以外に、自分が生きている理由が見つかりませんでした。
しかし、そんな自分にもまだできることはあるはず。そんな希望から、「まずは、目の前にいる誰かを助けることから始めてみよう」と決めました。
困っている人を見かけては声をかけ、一緒に悩み、寄り添い、解決を探す――そんな日々の中で、少しずつ、自分の力が誰かの役に立つことを実感していきました。
その中のひとり、月経による心身の不調に悩む女性を支援するという夢をもつあけみさんとの出会いは、かつて産後うつに苦しんだ妻と向き合い直すためのギフトのようでもありました。
仲間と共に、理想の生き方をつくる
気づけば、周囲にはたくさんの仲間が集まっていました。
私を信じてくれた人たち、
自分を変えようとしている人たち。
そして何より、壊れた関係を修復しようと、
あきらめずに向き合ってくれた妻。
もう一度心がつながり、
私は再び、彼女と共に人生を歩んでいます。
今では、
好きな人たちと、好きな時に、好きな場所で働きながら、
「自分がこの世界に来た意味を思い出し、
その目的に向かって生きる」
そんなサポートを仕事にしています。

仲間と共に、
理想の生き方をつくる
気づけば、周囲にはたくさんの仲間が集まっていました。私を信じてくれた人たち、自分を変えようとしている人たち。そして何より、壊れた関係を修復しようと、あきらめずに向き合ってくれた妻。
もう一度心がつながり、私は再び、彼女と共に人生を歩んでいます。
今では、好きな人たちと、好きな時に、好きな場所で働きながら、「自分がこの世界に来た意味を思い出し、その目的に向かって生きる」そんなサポートを仕事にしています。

あなたが、あなたの“意味”を見つける旅を、私は応援しています。
人を助けるには、
自分を整えていることが大切です。
溺れている人を助けるには、
ライフセーバーのように、まずは自分が泳げる力を持っていなければならない。
努力し、自分を磨き、
力をつけて他者を助ける。
そんな過程の中で、私は自分の居場所と、
人生の意味を見つけることができました。
かつての私のように、
自分の価値を見失っている人たちへ――
ほんの少しでも、希望の光を届けられたらと思っています。
あなたが、あなたの“意味”を見つける旅を、私は応援しています。
人を助けるには、
自分を整えていることが大切です。
溺れている人を助けるには、
ライフセーバーのように、まずは自分が泳げる力を持っていなければならない。
努力し、自分を磨き、
力をつけて他者を助ける。
そんな過程の中で、私は自分の居場所と、
人生の意味を見つけることができました。
かつての私のように、
自分の価値を見失っている人たちへ――
ほんの少しでも、希望の光を届けられたらと思っています。
もし、今のあなたに「誰かと話したい」気持ちが芽生えたなら。
もし、「もっと静かに自分と向き合いたい」気持ちがあるなら。
それぞれのタイミングで、そっとこの扉を開いてください。

金沢 勇希
作家/ライフコーチ/ビジネスプランナー
カウンセリングやコーチングを通して「夢を今日から生きる方法」を人々に提供している。仕事やキャリア、やりたいことが見つからないなど様々な相談を受け始めて10年以上。
考えをまとめるための『インスピ×ロジック決断シート』や未来を変えるための”みらくるロジック”などオリジナルのメソッドやロジックを用いて、クライアントや自らの目標を達成、人生を大きく好転させてきました。そのスキルとノウハウを活かし、新しい未来を手に入れたい方の1歩を踏み出すお手伝いをしています。
空想からの一歩。変わりたいと思ったあの日から
かつての私は、現実が退屈でつまらなくて、
2次元の世界にばかり心を預けていた、ぽっちゃりオタクでした。
空想の中でだけ安心できる、そんな日々。
でもある日、ふと鏡に映る自分の姿に、
「このままでは、運命の人に出会っても振り向いてもらえない」
そんな焦りを感じ、人生を変える決意をしました。
ちょうどその頃、会社では新規事業の立ち上げを任され、
ケガや試練もありながら、1年間で14kgの減量に成功。
新規事業も数年で年商5億円を超え、のちに100億円規模の成長事業となり、
この成果が評価されて、最年少で昇進を果たしました。
その後、運命の人と出会い、結婚。
カリフォルニアに移住し、子どもにも恵まれました。
幸せの裏側で、少しずつ壊れていったもの
順風満帆に見えた生活でしたが、急に試練が訪れました。
同僚が仕事をしなくなったり、
投資に失敗したり、
コロナ禍によるアジア人への暴行が起きたりしました。
そして、妻の情緒も不安定になりはじめ、言い合いは増え、
子どもを抱きながら涙する姿を見ることもありました。
原因がわからないまま、家庭は崩壊寸前の状態に。
コロナ禍の混乱もあり、私たちはアメリカを離れ、帰国しました。
「生きる意味を見失った」ときに、始めたこと
帰国後、医師の診察によって、妻は産後うつだったことがわかりました。
薬で症状は落ち着いたものの、私たちの関係はすでに深く傷ついていて、
夫婦としてのつながりは、ほとんど失われていました。
最も大切な妻一人救えず自信を喪失した私は、
子どもたちのため以外に、自分が生きている理由が見つかりませんでした。
しかし、そんな自分にもまだできることはあるはず。
そんな希望から、「まずは、目の前にいる誰かを助けることから始めてみよう」
と決めました。
困っている人を見かけては声をかけ、
一緒に悩み、寄り添い、解決を探す――
そんな日々の中で、少しずつ、自分の力が誰かの役に立つことを実感していきました。
仲間と共に、理想の生き方をつくる
気づけば、周囲にはたくさんの仲間が集まっていました。
私を信じてくれた人たち、
自分を変えようとしている人たち。
そして何より、壊れた関係を修復しようと、
最後まであきらめずに向き合ってくれた妻。
もう一度心がつながり、
私は再び、彼女と共に人生を歩んでいます。
今では、仲間と会社を立ち上げ、
好きな人たちと、好きな時に、好きな場所で働きながら、
「自分の存在価値に気づき、他者を助けることで人生の意味を見つける」
そんなサポートを仕事にしています。
毎日がつまらない
退屈な日々でした
現実が嫌いな私は2次元の世界に没頭するぽっちゃりなオタクとして日々を過ごしていました。毎日がつまらない退屈な日々でしたが、空想の世界だけが私の心の安らぎでした。しかし、ある日、鏡に映る醜い自分を見て、このままでは運命の女性と出会ったとしても振り向いてもらえないと気付き、私は自分を変えることを決意しました。右ひざの十字靭帯断裂などたくさんの試練がありましたが、努力の末、1年で14kgの減量に成功し、その後運命の美女と結婚。カリフォルニアに引っ越し、家族にも恵まれました。

順調な日々から・・
家族は崩壊寸前
全てが順調に見えたのも束の間。投資の失敗で経済的困窮に陥り、家賃が払えず家を追い出されそうになりました。そんなおり、妻の言動が急におかしくなりました。情緒不安定で、言い合いは増え、寝ている子供を抱きながら大泣きすることもあり、家庭は崩壊寸前に。そんな中でコロナ禍に突入し、アジア人への暴行も周囲で増えていたので、私たちはアメリカを脱出する決意をしました。

生きる意味を探すために
身近な人を助けることに
日本に帰国後、妻は産後に起きる鬱病だったことがわかり、薬で治療できたものの、それまでに散々喧嘩してきた私たちの夫婦関係は終わっていました。子供たちのため以外に生きている理由が見つからなかったので、私は生きる意味を探すことにし、まずは身近な人々を助けることから始めました。
仲間を集め会社を設立
周囲を見回すと困っている人だらけでした。私は声をかけ、一緒に解決策を見つけることで少しずつ周りの人々を救うことができました。人が人を呼び、仲間が増えました。自信を取り戻した私は、関係を修復しようと努力し続けてくれた妻のお陰で再び彼女と相思相愛になることができました。そして本を書き、仲間を集め、会社を設立。今では好きな人たちと好きな時に好きな場所で働き、人々が自身の存在価値に気づき、周囲を助けることで生きる意味を見つける手助けをしています。
人生の意味を
知ることができた
他者を救うには自分が強くなくてはいけない。溺れている人を救うにはライフセーバーのように鍛え抜いた人でないと一緒に溺れてしまう。努力し、自分を磨くことが大切です。力をつけて他者を助けることで、私は自分の居場所を見つけ、人生の意味を知ることができました。かつての私のように、自分の価値を見失っている人たちへ、少しでも希望の光を届けたいと願っています。
あなたの意味を見つける旅を一緒にサポート
あなたにも、あなたの助けを待っている人がいます。いますぐあなたの意味を見つける旅の一歩を踏み出してください。あなたのことを、あなたの物語を私たちに教えてください。私たち、「君の意味」はあなたからの連絡をお待ちしています。